100年の歴史をもつ柿農家が、柿を通販でお届けします。幻の柿「麗玉」を含む「早秋」「富有」「次郎」「輝太郎」の5種類を通販でお届けできる日本で初めての農家です。戦前は皇室にも献上。甘い柿がお好きな方も、カリッとした柿がお好きな方も、サカヤ農園の柿を、通販で気軽にお楽しみください。

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【静岡県で柿作りにこだわり続けて100年】サカヤ農園ヒストリー

 

戦後の狩野家

▲約100年前、天野地方で柿の栽培を始めた私の曾祖父(そうそふ):前列右から二番目

 

サカヤ農園は
静岡県伊豆の国市にある柿農園です。

 

サカヤ農園の狩野尚希です

 

こんにちは。
サカヤ農園の4代目、狩野尚希(かの・なおき)です。

 

サカヤ農園は静岡県の伊豆の国市で柿を育てています。

伊豆の国市は美しい富士山のふもと。

 

富士山と狩野川

奥に見えるのは富士山。手前に狩野川が流れます。

 

 

この地方特有の寒暖差や、日照時間の長さが、
柿にとっては大変よく、古くから柿栽培が続けられてきました。

 

天気の良い日も多いので、ぜひあなたも遊びにいらしてくださいね。

伊豆の国市について、もっと詳しく知る

 

 

狩野家外観

 

柿通販のサカヤ農園

 

 

私は祖父や父から狩野家の跡を継ぎ、
柿を多くの人に通販でお届けするにあたって、

地域で親しまれてきた、この家の伝統を大切にしていきたい

と考えました。

 

伝統を大切にしていきたい

 

私が伝統にこだわるのには、理由があります。

 

実は一度、天野地方の柿生産は、ほぼ途絶えてしまっているんです。

 

でも天野地方の柿栽培は、おいしい柿を作ってきた歴史や伝統を守り、受け継いでいこうとする地域住民の手によって、復活しました。

 

そして今でも、少ない数ではありますが、続けられているんです。

 

 

皇室にも親しまれた「天野柿」

 

戦時中の狩野家と曾祖父

 

 

狩野家に残るアルバムをひもとくと、
ずいぶん古くなり、
すっかり色の変わった写真が出てきます。

 

1945年、太平洋戦争。

祖父の出征の際に
撮影された写真が上のものです。

 

軍帽をかぶり、中央にいるのが私の祖父。

その後ろで、やや心配そうな顔をしているのが曾祖父です(拡大しています)

 

狩野家の柿栽培の歴史は、
これよりさらに30年前にさかのぼります。

 

100年の歴史をもつ天野柿

 

大正時代初期。

若かった曾祖父は、
同じ土地で育ってきた仲間と、
こんな話をしていました。

 

柿を育てよう。
そしてこの土地を、有名な柿の産地にしよう!

 

当時、静岡で栽培されていたのは、
次郎柿(じろうがき)という品種でした。

 

次郎柿の発祥は静岡。

江戸時代に松本治郎吉(まつもと・じろきち)という人が
栽培を始めたので、次郎柿と言われています。

 

しかし曾祖父が考えたのは、
より果肉がやわらかくジューシーな富有柿を根付かせることでした。

 

 

今でも多くの方が手に取る品種である、富有柿(ふゆうがき)

 

岐阜県は当時から、富有柿(ふゆうがき)の産地として知られていました。

 

ここに目をつけ、2人の仲間といっしょに、
岐阜県に出かけて行ったんだそうです。

 

サカヤ農園の歴史は古いです

 

まだまだ交通網の発達しきっていない大正時代のこと。

 

今なら静岡・岐阜間は電車を乗り継げば2時間くらいですが、
当時はそういうわけにはいかなかったはずです。

 

曾祖父は、片道200kmの道のりを、どんな気持ちで向かったんでしょう。

残念ながら当時のことを、私はもう聞くことができません。

 

ですが苗木を手に入れて静岡に戻った曾祖父らが行ってきた努力は、
今、こうして多くの方に天野柿が親しまれていることからも、分かる気がします。

 

 「皇室御用達」のお墨つきをいただいた天野柿

 

戦前、大日本帝国憲法下には、
宮内省御用達制度(くないしょうごようたしせいど)という、
たいへん厳しい制度がありました。

 

「皇室に献上した!」

と言えば、自分たちの商品に信頼性が増すため、
戦前、多くの業者が皇室に商品を送ったんだそうです。

しかし、皇室のお口に入るものを、
なんでも許可するわけにはいきません。

 

そこで大日本帝国政府は、
送られてくる品物にたいへん厳しい基準をもうけ、
それに合格したもののみを

「宮内省御用達」
「皇室御用達」

と名乗ってよいこととしました。

実際、皇室に献上された多くのものが返品されたそうです。

 

 皇室献上天野柿

 

その中でも、当園の天野柿は、
厳しい審査を通り抜け、
正式に「皇室御用達」のお墨つきをいただきました。

 

こうして皇室にも献上され、
県内外からも高い評価をいただいていた当園の柿。

 

 

ところが……

 

戦争の影響が、伊豆の国にも広がる

 

太平洋戦争に入ると、しだいに柿の栽培が難しくなってきます。

 

戦争によって、どこにも食べ物がない状態に。

 

貧しい中でもなんとか生活していくため、
国が、米やイモなど、
すぐに必要なものを中心に育てさせた時代です。

 

果樹の農家も、やはり農地を使って米などを育てました。

 

もちろん天野柿も例外ではありません。

とうとう天野地方の柿の木にも、生産中止の命令がくだってしまいました。

 

柿の木の多くは伐(き)り、
田畑に変えることになりました。

 

私はまだ生まれていませんから、この頃のことは詳しく知りません。

しかし天野地方の柿農家にとって、柿の栽培ができなくなるのは、たいへん辛いことだったはずです。

 

こうして、先祖が自信と誇りをもって育ててきた柿はいったん姿を消してしまったんです。

 

「また天野柿を作ろう!」

 

長く続いた戦争がようやく終わりました。

少しずつ、少しずつ、以前のように食べ物が手に入るようになります。

 

私の曾祖父(そうそふ)には、
思いがありました。

 

また天野柿を作ろう!

 

いったんなくなりかけた伝統を、もう一度復活させよう。

喜んでくださった方々に、また美味しい天野柿を届けよう。

 

曾祖父はわずかに残った木に手をかけ、
また柿の栽培を始めました。

 

新たな天野柿は、わずかな本数の木から、また始まりました。

 

天野柿の復活

 

昭和36年には
富有柿だけでなく、
次郎柿の栽培も始まりました。

 

他の農家も柿の栽培を始め、
曾祖父ら3人から始まった天野柿は、
現在十数軒の農家によって続いています。

 

このように、数が少ない天野柿なので、
全国のスーパーなどにはほとんど並びません。

 

ただ全国から毎年のようにご注文をいただき、
私たちは柿の栽培を続けてこられました。

 

曾祖父の代から100年続いてきた柿栽培、
これからも続けていきたいと思います。

 

 

昔の柿は小さかった?

 

 
二人以上の目で見て柿を選びます

選果器を使って柿を選びます

 

曾祖父の代から今まで使っている、選果器があります。

 

選果器というのは、柿の大きさをはかるものです。

穴のところに柿を入れて、どれくらいの大きさかを調べるんですね。

 

この穴の小さい方は、今はほとんど使っていません。

今サカヤ農園で育てている柿は、ほとんど大きい方の穴に入ります。

 

100年前からの選果器

この小さな穴には、今の柿は入りません

 

昔の柿はきっと、とても小さかったのでしょう。

 

柿は実が大きい方が味が良いと言われます。

曾祖父、祖父、父、私と、栽培技術を受け継ぎながら、徐々に改良を加えていった証拠だと思います。

 

選果器に残る文字

昔の文字が残っています(昭和八年政と書かれています)

 

 

さて、曾祖父から天野柿の栽培を始め、私の代で4代目。

しかし私は、初めから柿の栽培をやりたかったわけではありませんでした。

 

あまり柿が好きじゃなかった子ども時代

 

昔の柿は小さかった

 

白状します……。

 

私、20代になるまで、ほとんど実家の柿を食べてきませんでした。

 

 

実家の柿のおいしさに気がついていませんでした。

 

私にとって柿は、ありふれたもの。

 

子どもの頃から、柿を食べたいとは、あまり思わなかったんですよね。

身近にありすぎて……。

(今思ってみれば、なんてぜいたくなことでしょう)

 

ないものねだりなのか、ぶどうや桃などが好きで、
実家の柿そっちのけで食べていました。

 

 

そういうわけですから、柿農園を継ぐということも、あまり考えていなかったんです。

 

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転機は20代半ばに訪れました。

もうずいぶん食べてこなかった実家の柿を、ふとしたときに、食べてみたんです。

 

そうしたら……

 

衝撃を受けました。

 

う、うちの柿って、こんなにおいしかったの!?

 

と。

 

「うちの柿って、こんなに美味しかったの!?」

 

柿の美味しさに気がつく

 

すごく甘くて、ジューシーで、ぶどうや桃などにぜんぜん負けない食感。

むしろ、他の果物より美味しい……。

 

我が家は、こんなに美味しい柿を作ってきたんだ。

自分も受け継いでいきたい!

さらに良い柿を作って、多くの人に届けていきたい!

 

それまでは手伝いをする程度だった柿栽培。

でも、実家の柿をちゃんと食べてから、私の気持ちは変わりました。

 

私は本腰を入れて、柿栽培に取り組むようになりました。

 

あのときの感動を、今度は自分の手で
多くの方に届けたい。

柿を収穫しています

柿の色づきを確かめて、収穫しています

 

剪定の仕方など、ひとつひとつの作業を意識的に考えながら、行うようになりました。

父や近所の方に習いつつ、自分でも研究し、今では、私が主に柿の栽培を行うようになっています。

 

柿作りの難しさを知る

 

柿作りはとても難しく、デリケートな仕事です。

 

剪定、摘果、消毒、草生栽培……

 

先代が行ってきた多くの作業に加えて、私はさらに、摘蕾、潅水といった、新しい作業を増やしています。

一つ一つの作業は、決して手を抜きません。

 

しかし、ヘタも実も、なかなか大きくならないことが、どうしてもあります。

 

とくにつぼみを摘む、摘蕾(てきらい)という作業は、周りにやっている方も少なく、タイミングをはかるのも難しいので、日々研究しながら行うしかありません。

 

 

でも、柿作りは面白い!

 

大変だからといって、やめるつもりはありません。

 

柿の栽培のことで、やってみたいことがたくさんあります。

柿の気持ちを考えながら、柿にとってどんな栽培方法が一番いいのかを、これからも探っていきます。

 

 

伝統を受け継ぎ、
良いものだけをお届けします。

 

全国から柿のご注文をいただきます

全国から柿のご注文をいただきます

 

サカヤ農園には、県内外から毎年たくさんのご注文をいただきます。

 

広告を出しているわけでも、
買ってくださったお客様にお知らせしてきたわけでもありません。

 

柿の時期になると、みなさん思い出してくださって、

「今年もお願いします」

と、ご注文をくださるのです。

 

ほとんどがサカヤ農園の柿の良さを知ってくださっているお客様。

たいへんありがたいことです。

 

曾祖父の代から守られ受け継がれてきた天野柿。

私は良いものだけをお届けするというポリシーを変えず、
よりおいしい柿を、多くの方にお届けしたいと思います。

 

 

数年前に私が食べた実家の柿は、父が中心で育てていたものでした。

以前は父が中心で育てていた柿と、
同じレベルの品質の柿(あのときに感動した柿)を
今では、作れるようになっている自信があります。

 

毎年、柿ができて、多くの方に「おいしかったよ」と言っていただけるのは、私にとって、とてもうれしい瞬間です。

 

2016年から、サカヤ農園は通販での柿のお届けを始めました。
リピート率(繰り返し買ってくださったお客様の割合)は、85%。

今では、予約販売を開始すると、1日以内に全商品が完売します。
例年、たくさんの方にご好評をいただき、たいへん嬉しく思っています!

 

静岡で柿を作り、通販でお届けしている狩野尚希です

 

これからも美味しい柿をお届けできるよう、頑張ってまいります。
あなたもぜひ一度、天野柿を味わってみてください。

 

他のどこでも手に入らない、こだわりの柿、
例年、販売開始直後に完売します。気になる方はお早めに。

通販でお届けしているサカヤ農園の柿を一覧からお選びいただけます